成熟の記録(2/3)──
以前の私は、
フェイスリフトに強い関心を持っていた。
本気で調べ、本気で考えた。
もし受けるならお願いしたい形成外科医も、
二人に絞っている。
長年の経験と技術を積み重ねてきた先生方で、
その技術にも判断にも敬意を持っている。
だから今も、
美容医療そのものを否定する気持ちはない。
ただ最近、
その頃の自分を振り返っていて、
ひとつ気づいたことがある。
私は老化が怖かったのではなかった。
本当に怖かったのは、
「今の自分では美しくない」という認識だった。
鏡を見るたび、
たるみを探し、変化に注視し、減点していた。
その採点表を握っていたのは、
世間ではなく
いつも私自身だった。
振り返れば、
私は昔から自分に厳しかった。
会社員時代は無遅刻、無欠勤。
休むことにも、
立ち止まることにも抵抗があった。
もっと努力したほうがいい。
もっと頑張らないとダメ。
その厳しい視線は、
他人ではなく、自分に矛先を向けていた。
50代になり、
更年期で身体が思うように動かなくなった時、
そこで初めて、
「自分は頑張らないと値打ちがない」
という思い込みに気づいた。
その考え方を少しずつ見直していくうちに、
不思議な変化が起きた。
美容への興味は変わらないし、
美しくありたい気持ちも変わらない。
それなのに、
フェイスリフトへの切迫感だけが薄れていた。
受けるか、受けないか。
その答えは、まだ出ていない。
先生方の目と判断力が冴えているうちに
お願いしたほうがいいのでは?
と考える日もある。
それでも以前のように、
「今すぐ何とかしなければ」
という焦りはない。
今になって思う。
本当に変えたかったのは、
顔ではなかったのかもしれない。
自分へ向けている視線だった。
美容医療を選ぶことが悪いとは思わないし、
むしろ私は、コスメより好き。
美容医療で人生が前向きになる人もいる。
だから私自身も、
将来その選択をする可能性を否定しない。
ただ、自分にひとつ問いかけてみたい。
もし自分を責めていなかったとしても、
その選択をするのか?
その答えが「Yes」なら、
それは前向きな選択だと思う。
もし迷うなら、
一度だけ、
自分へ向けている視線を見直してみてもいい。
人は顔だけを変えたいのではない。
自分との関係を変えたいと
心のどこかで願っていることがある。
最近の私は、
そう考えるようになった。
美しさとは、
身体の再構築を続けることだけではない。
鏡の前で、
自分を減点し続ける癖を手放すことも、
美しさのひとつなのだと思う。
── きょうは、自分を責める視線ではなく、自分を理解する視線を選ぶ。──

