SATCのキャリーに憧れながら、
書くことから離れていった人を
時間が経った今、思い出す。
起業初期、
文章がとてもお上手で
つい読み進めてしまう人がいた。
彼女は
SATC キャリーのような生き方に
憧れているように見えた。
書くこと
自分の感性で生きること
不安定さも含めて
立ち止まる時間を含んだ人生。
実は、
あの売上低迷の時期こそ、
キャリーになれる時間だったと思う。
仕事が少なく、
評価も不確かで、
肩書きも頼りにならない時期。
その時間は不安だけど、
書く人にとっては、
なんの遠慮もない言葉を育てる
有意義な季節でもある。
けど彼女は、
生じっか売れっ子だった。
一定の成果が出て、
立場があり
「先生」と呼ばれる場所にいた。
すると、
守るものが増える。
誇示したくもなる。
何より、金銭面の不安が
常に判断の前に立つようになる。
しだいに彼女は、
書く女ではなく
回す人になった。
家庭も、仕事も、
忙しさも抱え込み、
止まらずに動き続ける選択をした。
それが悪いわけではない。
ただ SATC、
キャリーの物語とは
別の方向に舵を切っていった。
私は、
彼女を責める気持ちはない。
何年も前から、
遠くから眺めるだけだった。
元気に暮らせていたらいいな、
それくらいの距離で。
書く才能があった人ほど、
書かない選択を
あとから理解する。
でも、
その理解と引き換えに
引き返せない場所まで
進んでしまうこともある。
人生には、
選ばなかった時間が残る。
それを悔やむ人もいれば、
忙しさで見ないようにする人もいる。
私は、更年期の体調で
外に向かえない時期を
無理に意味づけることなく
過ごしていた。
だから今、
誰かの選択を
評価する気も、
比較する必要もない。
物語は、
それぞれの速度で進む。
キャリーになる人生もあれば、
ならなかった人生もある。
どちらが正しいわけでもない。
ただ、
書く人にしか渡されない時間が
確かに存在する、
それだけのこと。
― きょうは、選ばなかった人生にも敬意を払う ―
