「なぜ毎日書くのか。」
疑問に感じる人もいると思う。
アクセスを増やしたいからでも
仕事を増やしたいからでもない。
その結果として得られるものはあっても、
それが出発点ではない。
私が書く理由は、もっと単純。
生きた証をアーカイブしたい。
これが起点。
人生を振り返ると、
私はたくさんのものを見てきた。
2000年ごろまで、
私はラグジュアリーな世界で
多くの選択を重ねてきた。
何を買い、どこに滞在するのか。
その過程で、人の裏表や、
華やかな場の裏にある現実にも充分触れてきた。
いま思えば、それらは贅沢な経験ではなく、
人を観察するための時間だった。
仕事の現場で、
人がお金を払う瞬間を観察した。
書籍やドラマ・映画から、
その時代が生み出した秩序を読み取ってきた。
ショップチャンネル生放送の世界にも触れ、
更年期で心身が止まりそうな時間も経験した。
そのすべては、私だけが見た景色だった。
だから残しておきたい。
若い頃は、
何かを成し遂げることが大切だと信じていたが、
年齢を重ねた今、その信念は変わった。
成し遂げたかどうかより、
自分が何を見て、何を選び、何を感じたのか。
その記録こそが、
人生の痕跡ではないかと思うようになった。
私は50歳あたりから
「もう充分に生きた」「人生に悔いはない」
と感じている。
終わりを望んでいるわけではない。
悔いがないからこそ、
この人生で得たものを言葉として残したい。
人は写真を撮る。
動画を残す。
私は文章を書く。
私にとって文章は、
記録であり、思考の保存であり、
生きた時間のアーカイブ。
更年期で立ち止まり、
燃え尽きたような時期があった。
光も音も受けつけず、何もできない日が続いた。
少しずつ回復し、
私に戻ってきたのは体力ではなく
好奇心だった。
「もっと知りたい」と「なぜ」
その感覚が、再び文章を書く力になった。
だから今日も書く。
立派な教訓を残すためではなく、
私が、
この時代をどう見て、
どう考え、どう生きたのか。
その痕跡を 積み重ねていきたいだけ。
いつか誰かが偶然それを見つけ、
「こんなふうに世界を眺めた人がいたのか」
と思ってくれたら、
それで充分。
私は毎日書いている。
未来の誰かに教えるためではなく
生きた証をアーカイブするために。
今思えば、更年期うつだったのかもしれない|光も音もつらく、残ったのは阪神とNetflixだった
人は回復すると、最初に何を取り戻すのか|私の場合はサカナクションだった
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