最近、自分の口から出た言葉に
自分で驚いたことがあった。
「それも精神鍛錬になる」
他人から見れば、
少し格好悪く見える人がいたとする。
自分なら できることが、
相手は できなかったり
動作が遅かったりする。
ただ私は、
本人がやりたいと思っているなら
できる範囲で付き合えばいいと思った。
それも付き合う側の精神鍛錬になる。
なぜ私は、こんなふうに考えるんだろう?
思い当たったのが、自分の青年期だった。
私は安定した家庭環境で育ったとは言いにくい。
親の事情で生活が変わり続け
受験の年にも引っ越した。
自分がやらかして恥を重ねたというより、
自分では選べない家庭の事情まで
自分の身なりみたいに着て
外へ出なければならなかった。
子供には、
「これは親の事情なので、私は関係ありません」
という顔では生きられない。
子供にだって面子ってものはある。
恥の多い青年期だった。
当時、それが自分の何になるのかなんて
考えたこともない。
できれば経験しないほうがよかったこともある。
ただ、恥ずかしい状況から逃げられなかった年月が
知らないうちに精神鍛錬になっていたのではないか。
誰かが
「人から見たらちょっと格好悪い」
と感じる場面に出会ったとき、
私は反射的に
だから何?
それもあなたの精神鍛錬やで。
と口から出た。
これは優しさなのか?冷淡なのか?
よくわからない。
昔の私は、
そんな立派なことを考えていたわけではない。
子ども故に逃げられなかっただけ。
でも、逃げられなかった恥が
何十年も経って自分の中で意外な筋肉になっていた。
それを最近、知った。

