2014年は、応接間だけ見せていた
2014年に起業してから、私はずっと何かを書いてきた。
美容のこと
仕事のこと
自分ではかなり書いているつもりだった。
けれど2026年になって
『50代からの美意識』ここでの記事が
350本ほど並んだところで気づいた。
昔の私を正確に言うと、
見せる部屋を選んでいた。
2014年の私は、こんな感じだったと思う。
「こちら応接間です。どうぞ」
仕事相手や読者に見せても問題のない部屋を整え、
そこへ人を招いていた。
それが12年経った。
2026年。
今の気分は、かなり違う。
「トイレ以外どこでも見てええで ☺︎」
たぶん昔からこっちが本体。
応接間では、ちゃんとしていただけ。
干支一周。
ずいぶん変わった。
ラグジュアリーな経験は、意識して書かなかった
特に隠していたのが、
ラグジュアリーにまつわる過去だった。
娘の幼い頃までは、
家政婦さんがいたし
若い頃からヘリテージブランドが好きだった。
毎月、海外にも行った。
いいホテルにも泊まった。
ブランドが日常だった。
仕事を始めてからは、それらを書かなかった。
理由は単純、
偉そうに見られたくなかったから。
もう一つある。
過去に経験した華やかな場所を
現在も同じ暮らしを
しているかのように書くことにも抵抗があった。
50代になって、過去を自慢ではなく資料として扱えるようになった
今はラッフルズの話も書く。
メゾンの顧客だったことも書く。
ブランドも書けば、
ドラッグストアで買ったリップも書く。
映画もドラマも文豪も書く。
海外旅行の思い出を書いた翌日に
50年来の阪神ファンの目で野球を書くこともある。
なぜ平気になったのか。
過去の経験を
自分の価値を高く見せる道具として
使わなくなったから書けるようになった。
重要なのは、
いろいろ見た結果、現在の自分が何を選ぶか。
ラグジュアリーを知ったうえで
安価なものを選ぶ日もある。
昔好きだったものを
今はいらないと思うこともある。
逆もある。
経験は勲章ではない。
判断するときの資料。
若い頃の「ありのままの私」とは少し違う
自己開示という言葉には、
私は少し違和感がある。
「本当の私を見てほしい」
今の私は、別にどうでもいい。
12年間仕事をして、書いて、人前にも出た。
成功したこともあれば、動けなかった時期もある。
それを経た今、思う。
説明するより、置いておけばいい。
過去も
趣味も
美意識も
仕事も
ラグジュアリーも
ドラッグストアのリップも
ドラマ・映画への偏愛も
文豪への勝手な観察も
全部同じ家に置いておく。
どういう人間に見えるかは、読んだ人が決めればいい。
判断を相手に渡しただけ。
350本書いたら、説明しなくても人物が見えるようになった
現在、このサイトには350本ほどの記事がある。
美容記事以外にも、
気になったらジャンル問わず書く。
好奇心のまま面白がって書いている。
一方、化粧品やスキンケアになると
美容家らしい顔色になる。
1記事だけなら、
何の人なのか分からないかもしれない。
けれど何本か読むと、
テーマが違っても同じ人間が見ていることが分かる。
気になる人は入ってくればいい。
合わない人は帰ればいい。
私は玄関まで追いかけて説明しない。
ただし、門は開けておく。
仕事の連絡先も分かるようにしている。
社会との接続まで閉じるつもりはない。
庭では好き放題遊んでいるが、門だけはきちんと開けてある。

