歳を取れば、
誰もが自然に味わい深くなるとは限らない。
成熟とは、
過ごした年月の長さの事ではなく
時間の中で何を選び変化したかが
その相貌に現れる。
ある女性が、自分の年齢について語った。
「私なんか、もう腐っているから」
その言葉に、ある男性芸人が返した。
牛乳なら腐っている。
けれど、ヨーグルトなら今がフレッシュな状態。
さらに時間を重ねれば、
チーズという味わい深い段階もある。
いつまでも牛乳に固執せず、
今の段階にある新鮮さを楽しめばいい。
そのような話だった。
含蓄あるなと思ったし、
かなりの賞賛だった。
若さを失ったと感じている女性に、
若さとは異なる価値の見方を示している。
牛乳ではなくなったからといって、
価値が消えるわけではない。
ヨーグルトにはヨーグルトの新鮮さがある。
チーズにはチーズの深みがある。
前の段階へしがみつくより、
今の自分にある味を見たほうがいい。
この言葉は多くの人に支持された。
年齢を劣化として見る社会の中で、
変化を肯定する言葉は人を救う。
けど、私は少し別のことを考えた。
牛乳は、時間だけではチーズにならない
牛乳は、
置いておけば自然にヨーグルトやチーズへ変わるわけではない。
適した菌が必要だし、
温度の管理も必要、
手間も技術も必要になる。
どのような環境に置かれ、
どのような工程を通るかによって
完成するものは変わる。
何もせず時間が過ぎれば、
発酵ではなく腐敗へ進むこともある。
これは人にも言える。
年齢を重ねたからといって、
知性が深くなるとは限らない。
苦労を経験したから
他人に優しくなれるとも限らない。
傷ついた経験から、
人の痛みを想像できるようになる人がいる一方で
自分が受けた傷を
次の誰かへ渡してしまう人もいる。
過ぎた時間は同じでも、
変化の中身に差はある。
発酵も腐敗も、変化には違いない
発酵と腐敗は、
どちらも微生物によって物質が変化する現象。
人間にとって価値がある変化を発酵と呼び、
害になる変化を腐敗と呼ぶ。
同じ素材、
同じ時間、
それでも、環境と工程によって結果は大きく変わる。
人も同じ。
年齢を重ねること自体に、善悪はない。
重要なのは、
その年月の中で何を自分に入れてきたか。
何を考え
誰と過ごし、
どの場所から離れたか。
自分に合わなくなった考えを手放せたか。
人の変化は、
日々の小さな選択から作られる。
人は途中で製法を変えられる
食品の比喩と人が異なる点もある。
人は途中で、
自分の環境や工程を変えられる。
付き合う人や、働き方も変えられる。
学び直せ、考え直せる。
これまで信じてきた価値観から離れることもできる。
人生の途中から製法を変えることは可能になる。
ヨーグルトを目指す必要もないし、
誰もがチーズにならなくてもいい。
バターでも、生クリームでもいい。
これまで名前のなかった何かへ変化してもいい。
成熟には、全員共通の型などない。
若い頃の自分を保存することより、
今の自分に合う変化を選ぶ。
そのほうが、人生後半ははるかに面白い。
年齢ではなく、どんな道筋を通ったか
同じ年齢でも、人の相貌は大きく違う。
それは容姿の若さのみで決まらない。
自分と対峙してきたか、
他人をどう扱ってきたか、
何を尊重し、何を捨てたか、
人は何歳になったかより、
どんな道筋を通ってきたかで見え方が違う。
そして、その道筋はこれからも変えられる。
だから、
牛乳に戻れないことを嘆く必要はないが
年を取れば自動的にチーズになれると安心するのも違う。
自分は今、発酵しているのか。
それとも、過去へ執着をしているのか。
ときどき立ち止まり、
自分の工程を見直したほうがいい。
人生の後半は、
自分という素材を
何へ変えていくか選び直す時間になる。
― きょうは、年齢ではなく、変化の工程を見る ―

