「覆水盆に返らず」という言葉を見た時、
学生時代のある記憶が戻ってきた。
一度こぼれた水は、盆には戻らない。
人間関係にも、それはある。
謝罪があったとしても、時間が経っても、
起きた出来事は消えない。
けど、消えないものすべてが、
人生を濁らせるとは限らない。
人によってはそれが、
観察眼の始まりになることもある。
私にとって
学生時代の除け者にされた経験は、
そのひとつだった。
一度だけではなく
二度目は、より大掛かりに
除け者にされた。
さらに同時期、それとは別に
上級生グループには囲まれ、待ち伏せされ、落書きをされ、
嫌がらせの電話も2年間続いた。
今振り返れば、
心を壊しても不思議ではなかったと思う。
教室の中も外も居場所がなかった。
それでも私は、
登校拒否しなかった。
泣かなかったことよりも、
学校に通い続けたことを
過去の私に褒めてやりたい。
一方で、子どもながらに
妙に冷めた視点も持っていた。
「人は、本当に無関心な相手に、ここまで時間も労力も使わない」と。
物事を深く捉えるタイプではなかった私でも、
当時はノイローゼ気味だった。
深い孤独も味わった。
けど、その渦中で私は、
なぜそうなったのか。
外す側の背景や行動心理を見ていた。
家庭環境や、
そこから来る精神状態。
彼女らと私の学力や、
スポーツの成績も比較した。
学校での影響力や人間関係までを
子どもながらに観察していた。
加害側の女子が気に入らなかった理由も、
何となくわかっていた。
彼女の意中の男子が、
つねづね私を庇っていたこと。
別のグループの女子たちが、
私に好意的な視線を向けていたこと。
要するに、
私は独りだったが
精神的には孤立していなかった。
孤立させたい側から見れば、
それが腹立たしかったんだろう。
人は、自分が支配したい場の中に、
別の評価軸が生まれることを嫌う。
誰かを下げたはずなのに、
別の場所でその人が上げられている。
誰かを外したはずなのに、
別の誰かが拾う。
それは、支配したい人にとって、
都合が悪い。
当時の私は、
そんな風に整理できていなかったが
感じてはいた。
単なる好き嫌いではなく、
嫉妬、序列、注目、承認、支配。
教室という小さな空間は、
社会の縮図でもある。
大人になって思うのは、
人間関係の醜さは、
一定年齢で急に始まるものではないということ。
そんな環境で私は、
人の心理状態を分析するのが癖になった。
あの人はなぜ、急変した?
加勢する理由、庇った理由、沈黙する理由。
今となっては、
それは保身のための観察だったように思う。
これが後に、文章を書く力にはなっている。
人を見る時、
私はその人の表層だけで判断しない。
周囲をいかに緊張させているか。
誰を安心させているか。
どんな場で強くなり、どんな場で卑しく見えるか。
何に嫉妬し、何を許せないのか。
人の本質は、
言葉より先に相貌に出る。
そこに、その人の美意識がある。
美とは、
顔立ちや装いだけではない。
そうした選択の積み重ねに、美醜は根付く。
学生時代の出来事は、美談ではない。
「あれがあったから今がある」と、
簡単にまとめる気もない。
傷ついたものは傷ついたまま。
まさに、覆水盆に返らず。
その後、
加害側発端の彼女は
自然に孤立していった。
そして、若くして大病で亡くなった。
亡くなる前、
懐かしさがあったのか、連絡をくれた。
人として、お見舞いには行ったが
腹の底では許していなかった。
正確に言えば、どうでもよかった。
許す、許さないという場所からも
完全に離れていた。
あの頃の水は、もう盆には戻らない。
ただ、それだけ。
大人になる とは、
すべて許すという事ではない。
何でも美談に昇華させることでもない。
事実を 事実として残す。
その中で、
自分が何を得て
何を選び直したのかを見る。
そこに成熟があると思っている。
私は、除け者にされたことで
孤独耐性を得た。
人の顔色に怯えるのではなく、
人の心理を読む癖も得た。
見捨てない人がいることも知った。
支配したがる人は、
最後には自分の作った秩序に飲まれることも見た。
何より、
見えている複数の情報を
組み合わせ 仮説を立てる癖がついた。
ここは、
書く者にとって財産であり
私の審美眼の根っこ。
いじめられた記憶を書く時、
私は被害者だった可哀想な自分を
保存したいわけではない。
書きたいのは、
子どもの頃すでに始まっていた観察。
誰かに外されても、
世界から完全に降りるのは難しい。
別の場所から、世界を見ることになる。
すると、
その角度から見えてくるものがある。
人の嫉妬、勇気、卑怯さ、優しさ。
そして、自分の中に残る冷めた感覚。
全部含めて、私は今の私になった。
覆水盆に返らず。
あの頃の私は、
孤独の中で人間観察を始めた。
今の私は、
その観察を文章にしている。
傷は消えなかった。
けど、視座は育った。
—— きょうは、傷そのものではなく、そこから生まれた観察眼を選ぶ ——

