ロンドン
Ritz London
パームコートの朝の時間。
雨のロンドンは、
なぜか音が静かになる。
ホテルラウンジは、
街の品格が最もよく見える場所。
その日は朝から雨だった。
観光に出るのはやめて、
ゆっくりベッドを離れ
ゆるゆるとラウンジへ降りていった。
リッツ ロンドン、
1階The Palm Court。
街を眺める静かな席。
ロンドンの曇り空
ピカデリーの車
黒いタクシー
すべてが
低い音で流れていく。
ブランチを終え
紅茶を飲みながら
雨に濡れたピカデリー通りを
のんびり眺めていた。
重厚な空気に包まれた空間で
窓の外の街を見ていると
そのとき、
一人のマダムが視界に入った。
こんなにも
絵に描いたようなロンドンマダムを
私は初めて見た。
60代半ばほど。
雨の中でも、
3cm 太ヒールのパンプス。
歩く速度は
年齢を感じさせない。
背筋は
まっすぐ。
足元は濡れているはずなのに、
歩き方に一切の迷いがない。
バーバリーのコートを纏い、
チェック柄の傘を差して
ただ“日常”として通りを横切っていく。
何より目を奪われたのは、
コートの裾からのぞく
細く、美しく締まった足首。
見惚れる、という言葉が
これほど自然に出てくる瞬間は
そう多くない。
流行を追っているわけでもなく、
誰かに見せるためでもない。
そこにあったのは、
長い時間をかけて身についた品格。
The Ritz Londonの空気は、
こうした人々を“特別扱い”しない。
ごく自然に、
その存在を受け止める。
だからこそ、
このホテルは
「英国の品格」と言われ続けるのだと思う。
成熟世代になった今、
私が美しいと感じるのは
若さや派手さではなく、
天候に左右されない佇まい。
年齢を重ねた足元の美しさ。
何も語らずに伝わる生き方。
それらが一瞬で理解できた
パームコートの時間。
雨とウールと、
磨かれた床の空気。
それが、
ロンドンの香り。
50代の美意識とは、
遠くの街で誰かを見ることで
未来の自分の姿を想像すること。
過去を懐かしむだけではなく、
これからの自分を
静かに選び取る行為なのだと思う。
今夜も私は、
ロンドンマダムの足もとを思い出し、
自分の姿勢を整えてみる。
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