ザ・リッツ・ロンドンの
パームコートで体験した
小さな夜の出来事。
ロンドン滞在が続くと、
体は思いのほか正直になる。
ハム、ベーコン、卵。
イギリスらしい朝食が重なり、
夜には、胃がすっかり疲れてしまった。
温かい料理は受けつけず、
どうしてもフルーツしか食べられない。
私はパーム・コートで、
少し遠慮しながら
ウェイターにお願いした。
「夜ご飯なのですが、
イチゴの盛り合わせを。
空腹なので……大盛で。」
完全に、メニュー外の注文だった。
けど返ってきたのは、
戸惑いでも形式的な確認でもなく、
にこやかな笑顔。
しばらくして運ばれてきた
シルバートレイを見て笑った。
本当に見事な、
イチゴの大盛。
潔いほど、たっぷりと。

ちょっと恥ずかしくなり、
周囲をそっと見渡した。
すると同世代ほどの欧米の女性が、
「だよね」というような
小さな笑顔をこちらへ向けてくれた。
そのときウェイターは、
楽しそうに何度もこう言った。
「ジャパン・フェスティバル!」
たしかに、
この大盛り具合は
フェスティバル(笑)
なにやらイギリスでは、
日本文化の展示や催しが
とても人気なのだと、
その一言だけで伝わってきた。
説明しすぎない。
距離は保つ。
けど、敬意は確かにある。
それが、
ザ・リッツ・ロンドンの
もてなしの品格なのだと思う。
50代になって、
はっきり感じることがある。
本当に上質な場所では、
こちらが無理をしなくていい。
食べられない夜に、
フルーツだけを頼んでもいい。
空腹だと正直に伝えれば、
きちんと満たしてくれる。
その余裕が、
人の心と体を
静かにほどいていく。
イチゴの甘さで
満腹になり、
私はゆっくり
席を立った。
パーム・コートの灯りを離れ
廊下へ出ると
音がすっと遠のく。
厚い絨毯が
足音を吸い込み、
磨かれたマホガニーが
空気をやわらかく包む。
部屋へ向かう廊下では
まるで
ロンドンの夜に守られているようだった。
強い香りとして残らなくても、
イチゴの瑞々しさと、
英国紳士の穏やかな佇まいは、
この先もきっと忘れない。
50代の美意識とは、
完璧であることではなく、
心と体に正直でいられる選択。
そう教えられた、
パーム・コートの夜だった。
The Ritz London パームコートの朝|英国という品格
