美輪明宏さんが、静かに目を閉じた。
そんな時代にきてしまったんだという
深い喪失感がある。
私にとって美輪さんは、
性別を超越した心のささえだった。
人間とは何か。
日本という国や、日本人のすばらしさとは何か。
そうしたことを
生き方そのもので語る存在だった。
私が30代前半の頃、
守られるものを失い、無防備になっていた時期がある。
そのとき、
求めるように手に取ったのが『紫の履歴書』だった。
美輪さんの半生を綴った本でありながら、
単なる時代背景や出来事の羅列ではなかった。
読者自身に考えさせる傾向の書物だった気がする。
私は泣きながら読み終えた。
3回は読んだはず。
ずいぶん物を減らした今でも、
美輪さんの書籍は何冊か残している。
そこから私は、
美輪さんのディナーショー
舞台『黒蜥蜴』『毛皮のマリー』
コンサートに何度も足を運ぶようになった。
初めてディナーショーで美輪さんを見たとき、
たしか70代に差し掛かる頃だったと思う。
背筋はまっすぐに伸び、
小ぶりなホテルのホールに
コンサートホール並みの声量が響き、
大きくはない身体から放たれる力に驚いた。
ホールでのコンサートでは、
開演直前、
舞台のほうからロマンチックで
上質な香水の香りが毎回漂ってくる。
夜間飛行だったか?
クラシカルで気品ある香りが客席に届くと、
姿はないのに
そこにはもう美輪さんが存在していた。
そのあと、ゆっくり緞帳があがっていく。
終幕前には、
天国を思わせる白い光と金粉で舞台が満たされる。
美輪さんは、歌だけではなく、
香り、光、姿勢、沈黙まで含めて
ひとつの世界を作る人。
そんな美輪さんの唄う
『愛の讃歌』が大好きだった。
ラストであの歌を唄われると、
涙があふれて毎回、
メイクはぐちゃぐちゃに崩れていた。
難しくて敬遠していた
三島由紀夫の書籍を手にしたのも、
美輪さんがきっかけだった。
そこから私は、
以前より深く日本を慮るようになった。
1960年ごろ日本には、
赤木圭一郎という精悍な顔立ちをした
物凄い二枚目俳優がいたらしい。
和製ジェームス・ディーンと呼ばれたという。
当時、美輪さんが赤木圭一郎さんと
夜のドライブをしたときの話がある。
浜辺で、赤木さんは独りタバコをふかし、
物思いに浸っていたそう。
美輪さんは終始車内に残り、
彼に一言も質問せず、
そのまま帰宅したという。
当時の私は、
「何も聞かない」という寄り添い方に
小さな衝撃を受けた。
話すことより、語らないことの価値。
人を理解したいからといって、
すべてを聞き出す必要はない。
沈黙まで含めて、
その人なのだと受け止めること。
それもまた、
教養であり品格なのだと知った。
この話には、
美輪さんの美意識が集約されている。
『銀巴里』時代、若い美輪さんは、
「天上界の美」とまで評される存在として、
日本を代表する作家や文化人たちから愛された。
その理由は、
類まれなる美形だったからだけではない。
知性があり、品があり、
人の心に踏み込まない節度。
沈黙の美学を
貴重なものとして扱う人だったから。
私が人物を書くとき、
出来事よりも
その人が残していった空気を書きたくなる。
それは、
美輪さんから受け取った影響なのかもしれない。
今は何でも言葉にする時代だが、
本当に大切なものは
説明できないまま残ることがある。
沈黙さえ、
その人の言葉として受け止める教養を
日本は少しずつ失ってきたのではないか。
だからこそ、
美輪さんは単なるスターではなく、
時代の精神そのもの。
日本の宝でした。
美輪明宏さんは、
正解を押しつける人ではなかった。
自らの生き方を通して、
どうあるべきかを
その生き方で示し続けた人だった。
私がいま
人物を書き、日本という国を考え、
美意識を言葉にしようとする原点には、
あの頃読んだ『紫の履歴書』がある。
人は亡くなってから、
その人が遺した思想の大きさを知るのかもしれない。
── きょうは、語らない価値を選ぶ。──

