過去、多くの富裕層を見てきた。
ある方は、長距離路線でも
「今回はビジネスでいい」
とおっしゃることが少なくなかった。
必要がなければ、余計な費用はかけない。
その判断は節約ではない。
他人からどう見えるかではなく、
自分にとって必要かどうかだけで決めている人の選択だった。
一方で、昔の私は違った。
前夫がまだ生きていた頃、
「さすがに長時間だから、
今回はファーストクラスで行く?」
と聞かれたことがある。
若い私は、
「シャネルの靴や
お洋服をたくさん買う方がいい」だった。
ファーストクラスの快適さは知っている。
一度経験すれば、
次からはビジネスクラスで充分だとも思っていた。
それでも当時の私は、
ラグジュアリーブランドをもっと所有したかった。
所有数が増えることで、
自分の中にあるコンプレックスという溝を
埋められるような気がしていた。
今振り返れば、
それもまた
自分という存在を証明したかったから。
私は、
座席では証明しなかったが、
持ち物で証明しようとしていた。
数々の富裕層を観察し、
自分自身も振り返るようになってから、
共通点が見えてきた。
人は、
自分が何者かを証明している途中では、
「わかりやすい印」を欲しがる。
それはファーストクラスかもしれないし、
高級時計やブランドバッグかもしれない。
しかし、
自分の基準で生きられるようになった人は、
その証明書を必要としなくなる。
座席は移動のために選び、
ブランドは本当に好きだから選ぶ。
今でも美しいものは好き。
ただ、
それを持つことで自分を証明したい気持ちは、
ほとんど無くなった。
私たちは、
本当にその物が欲しいのだろうか。
それとも、
その物を持つ自分を証明したいのか。
人は、いつ証明を卒業するのか。
── きょうは「証明したいもの」ではなく、「本当に必要なもの」を選ぶ。──
