長い間、
ある場面に触れるたび、
同じ感覚が残っていた。
日本の式典には、
国旗が見当たらない。
場の権威性も、
賞の威厳も、
どこか輪郭が曖昧で、
宙に浮いている。
通り過ぎに
映像を見ると、
何を重んじ、
どんな歴史の上に立ち、
どこの国の式典なのかすら、
伝わってこない。
特に、
大東亜戦争以後の
自虐史観教育を経て、
日本は、
自らの正義を語ることを避け、
象徴を掲げることを
恐れる国になってしまった。
誇示はいらない。
だが、
消去もしなくていい。
国旗とは、
威圧ではなく、
責任の所在を
示すものだから。
ここに、
私たちは立っている、
という宣言でもある。
それを下ろし、
語らず、
曖昧にしてきた結果が、
日本の空虚さなのだと思う。
もう、
いいでしょう。
失ったふりをするのは。
分からないふりをするのは。
選ばなかったことに
するのは。
私は、
伝統ある日本国で
行われる式典を
見たい。
静かでもいい。
簡素でもいい。
ただ、
ここが日本であると、
誰の目にも分かる場所で。
——
正解を降りた女。
美容の先で、美を生き直す人。
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