国家に品格はあるのだろうか。
美しいものを長く見ていると
ある感覚が育ってくる。
それは、
何を残すか
何を壊すか
という判断の感覚。
花を選ぶとき
器を選ぶとき
服を選ぶとき
その小さな選択の積み重ねが
ひとつの美意識をつくる。
国家というものを考えるとき
私はいつも
その感覚を思い出す。
国家とは
法律や制度だけでできているのではない。
そこに生きる人々の
選び方
残し方
守り方。
その長い積み重ねが
ひとつの国の姿をつくる。
日本という国を見ていると、
不思議に思うことがある。
なぜ日本は、
こんなにも
静かな秩序を保っているのか。
街は比較的 清潔で
電車は時間通りに動き
店には丁寧な言葉がある。
この空気は
法律だけで作られたものではない。
長い時間をかけて
人々が
美しいと思うものを
選び残した結果なのだと思う。
整えること。
乱さないこと。
余計なものを
増やさないこと。
そういう感覚が
社会の奥に流れている。
私は美容という仕事をしてきた。
肌を整え
容姿を整え
人の印象を整える。
その時間の中で
ずっと同じことを考えていた。
美しさとは
装飾ではない。
判断。
何を足さないか。
何をやめるか。
どこで止めるか。
その選択の積み重ねが
人の佇まいをつくる。
国家も
それに似ていると思う。
国の品格とは
結局、
その社会が
何を選び
何を選ばなかったかの記録だと思う。
騒がしさを選ぶ国もある。
速さを選ぶ国もある。
強さを選ぶ国もある。
日本は、
長い時間の中で
静けさ
秩序
清潔さ
そういうものを
比較的選び続けてきた国だった。
完璧ではない。
時代が変われば
空気も変わる。
言葉は荒くなり
街は雑然とし
品のないものが増えることもある。
それでも、
日本のどこかには
まだ
美しいものを
選び続けようとする感覚が残っている。
私は政治家ではない。
政策を決める立場でもない。
ただ
長く美しいものを見てきた者として
思うことがある。
美を知る人は
社会を壊さない。
美を知る人は
乱暴な言葉を使わない。
美を知る人は
空間を汚さない。
そして
美を知る人は
次の世代に
それを手渡そうとする。
国家というものは、
巨大な制度の集合体である前に
美意識の集合体なのかもしれない。
何を残すか。
何を守るか。
その判断を
積み重ねている人たちの国。
もし国家に
品格というものがあるとしたら
それは
美を知る人たちの
証明である。
—— きょうは 美を守る側に立つ。——

