人は、
いつも同じ場所に
留まり続けているわけではない。
人生には、
別の層へ移行できる“入口”が、
静かに現れる瞬間がある。
けど、その入口は、
強制されるものではない。
示されても、
通過するかどうかは、
本人にしか決められない。
相談という行為の本質は、
人生を変えることではなく、
変わることが可能な地点を、
明確に示すことにある。
私が相談を受けたとき
担うのは、
その人の人生を変えることではない。
“変わることが可能な地点が存在する”と、
明確に示すこと。
そして、
失われていた自信を
本人の手元へ戻すこと。
そこまでが私の役目になる。
その入口を通過するかどうかは、
本人の選択に委ねる。
たとえ通過しなかったとしても、
“自分には別の層へ移行できる可能性があった”
という認識は、
内側に残り続ける。
同時に、
“その入口を、自ら閉じた”という感覚もまた、
静かに残存する。
外側から見れば、
なぜ離れないのかと映る関係でも、
本人の内側では、
見慣れた痛みは予測可能であり、
自分の位置と役割が維持される世界でもある。
どこで傷つくか予測がつく世界では、
自分の位置も、役割も、変わらない。
しかし、未知の自由は違う。
それまでの関係や役割を離れ、
自分の位置を、
自身で定義し直さなければならなくなる。
それは、
痛みに耐えることよりも、
足場そのものを失う感覚に近い。
だから人は、
自由そのものではなく、
位置が保証された場所を選び続けることがある。
私が示すのは、通過の強制ではない。
ただ、
入口が確かに存在していることを
提示することだけ。
通過の可否は、
常に本人の側で決定される。
そして、
一度でも入口を見た人は、
その存在を完全に消すことはできない。
通過しなかったとしても、
入口を示してくれた人のことは、
心の中に、
静かに残り続ける。
