人生には、
何かが終わる音もしなければ
始まる合図も鳴らないまま、
ただ境界線だけが浮かび上がる瞬間がある。
それは別れでも衝突でもない。
同じ場所に立ちながら、
もう同じ景色を見ていないことに
気づく出来事。
ある日、
懐かしい人と偶然言葉を交わした。
穏やかで、何事もない再会。
未来につながるような、
そうでないような、
軽やかな余韻だけを残して別れた。
後日、
私は「ふたり」でいて、
その人は「ひとり」だった。
同じ空間、
同じ時間帯、
同じ日常のはずなのに、
歩く速さも、視線の向きも、
もう重ならなかった。
人は、
誰かを見なくなるのではない。
比較が成立しなくなったとき、
自然に視線が合わなくなる。
更新されていく時間と、
止まったままの時間。
どちらが正しいでも、
どちらが優れているでもない。
ただ、
問いが違う。
「人生は、誰と並んで立つかで変わる」
その事実が、
説明なしに可視化されるとき、
人は言葉を失う。
だから、
追わない。
確かめない。
説明しない。
境界線は、
踏み越えるものではなく
理解するものだから。
この出来事は、
誰かを置き去りにした話ではない。
自分が、次の時間に入ったことを
確認しただけの一場面。
過去は素材として残り、
未来はすでに別の方向へ動いている。
何も失わず、
何も奪わず、
ただ、静かに位置が変わった。
人生には、
こういう確認がときどき必要なのだと思う。
音もなく、
波風も立たず、
それでも確かに
「もうここではない」とわかる瞬間が。
その境界線を越えた人は、
もう振り返らない。
理由を語らなくても、
次の景色が
すでに前に広がっているから。
——
美容の先で、美を生きなおす。
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