このシリーズは、
文学者や思想家を評価するためのものではありません。
人物そのものではなく、
その人が生み出していた空気や、
作品を通して立ち上がっていた世界観を
いまの私の感性で受け取り直す記録です。
三島由紀夫の去り際は、あまりにインパクトが強すぎて、
数々の名著があることを知りながら、
正面から向き合う気になれない時期が、長くあった。
けど昨夜、
「触れたい」という衝動だけで本を開いた瞬間、
一瞬で脳みそに電流が走り、思考がフリーズした。
――
「フクロウ、あなたは森の女王です」
学習院初等科。
作文の書き出しが、この呼びかけで始まってしまう胆力。
語彙の問題でも、技巧の問題でもない。
世界を一瞬で“象徴として掴みにいく力”が、
すでに完成している。
そして若くして放たれた、格言。
「美とは死である」
は????? 理解できず悶絶。
これは虚無でも、破滅願望でもない。
生の途中にある揺らぎをすべて切り捨て、
完成された一点として美を固定しようとする、冷酷なほどの達観。
美は変わらない。
生は変わる。
だから彼の論理では、
美が完全に成立する瞬間は「死」しかあり得ない。
その思考の電圧が、あまりに高すぎて、
私はしばらく気が遠くなっていた。
三島由紀夫という存在は、
思想家でも、作家でもなく、
高圧電流そのものだったのだと思う。
触れれば感電する。
長時間は耐えられない。
けど一度浴びてしまうと、
こちらの感性回路が、書き換えられてしまう。
だから昨夜のこれは、
読書というより 感電事故 だった。

彼は、書く、鍛える、演じる、語る。
そのすべてが、
内側に溜まりすぎた電圧を逃がすための回路だった。
「美とは死である」という言葉も、
完成された思想というより、
過電圧の末に出た結論だったのかもしれない。
触れると、一気に持っていかれる。
思考も、感情も、安全圏も。
三島由紀夫は、
こちらが準備していようがいまいが関係なく、
回路を書き換え脳を焼く。
だから私は、
長く距離を取ってきたのだと思う。
感電するとペースを乱されるから。
けど今の私は、
かつてのように電圧に呑み込まれたいわけではない。
壊れるほどの美にも、
完成のために生を断つ論理にも、
もう憧れない場所に立っている。
それでもなお、
この高圧に触れずにいられなかったのは、
私の体力が、
再び“電気を通す状態”に戻ってきたから。
三島由紀夫は、
生きながらにして美を固定しようとした人。
私は、生の中で美を持続させようとする側にいる。
同じ電気を見て、
別の場所に立つ。
だからこれは、憧れではなく、
確認に近い感電だったのだと思う。
文豪を通して見えてくるのは、作品ではなく人間そのもの。
このシリーズでは、文豪や思想家の在り方を、静かに観察していきます。