これは、私がどうしても黙っていられなかった日の記録です。
長い時間を生きてきた木々が、一斉に倒されていく光景を前に、
私は深く傷つき、涙が止まりませんでした。
自然は、ただそこに存在していただけなのに。
鳥たちの家であり、私たちの心を静かに支えてくれていた存在なのに。
「効率」や「都合」の名のもとに、こんなにも簡単に奪われてしまう現実が
胸に強く刺さりました。
生態系を乱し、野生動物を追い詰める今の社会の在り方は、
遠い話ではなく、私たち自身の未来へ返ってくるものです。
だからこそ、見て見ぬふりをしてはいけないと思いました。
自然と共に生きる感性を取り戻すこと。
第一次産業を守ること。
次の世代へ渡せる“本当の豊かさ”をもう一度考えること。
これは、そんな想いから綴りました。
静かな気持ちで読んでいただけたら嬉しいです。

今年、近所の並木道が消えた。
気づいたときには、あらゆる木々が伐採され、景色は突然むき出しになっていた。
長い年月を生きてきたはずの木々は、静かにそこに立ち続けていただけなのに。
私はその場で深く傷つき、泣きながら歩いた。
年輪が語る時間を思うと、苗木を植え直したとしても、
あの風景が戻るのは何十年も先の話。
ムクドリの被害は理解している。
街の事情も分かる。
それでも——
「こんなに一方的な切り捨て方があるの?」
という問いだけが胸に残った。
私は、神宮外苑の並木道が揺らいだニュースを見たときにも同じ痛みを覚えた。
けれど、まさか自分の暮らす奈良で、同じ光景を見るとは思わなかった。
木々はただ木ではなく、
風の通り道であり、鳥たちの家であり、
私たちの心の拠りどころでもあったはずなのに。
最近の熊の出没報道もつらい。
本来なら山のどこかで静かに暮らしていたはずの命が、
私たちの生活圏へ追い出されるように現れる。
私は事実を見ることすらつらくて、思考を止めてしまう。
人間の都合で奪われ続ける命。
いよいよ“痛みを感じない世界”になってしまったなら、
私は熊たちに身を差し出したいとすら思う。
「あなたたちが満たされるなら、それでいい」
そんな錯覚に近い願いが浮かぶ日さえある。
もうじゅうぶん生きたから。
そんなことを思ってしまうほど、この国の生態系の乱れは私の心を刺す。
だから私は、
考えまいとしても、黙っていられない日がある。
人間がつくった資本主義の構造の中で、
自然が後回しにされる現実。
生態系を変えてまで行われる“効率化”。
それがいま確実に、私たち自身を追い詰めている。
因果応報は必ずある。
私が生き延びたとしても、
次の世代、そのまた次の世代はどうなるのか。
だから、声にしたい。
第一次産業を守ろう。
お米や野菜を作る人たちの手を守ろう。
山には、動物が食べられる実のなる木を植えよう。
「自然とともに生きる」という、日本人が大切にしてきた暮らし方を
もう一度考え直そう。
木々が倒れていく音を聞きながら、
私たちまで心を失ってはいけない。
日本の未来を守るのは、
目の前の小さな声を無視しない人間の優しさだと思う。

