このシリーズは、
文学者や思想家を評価するためのものではありません。
人物そのものではなく、
その人が生み出していた空気や、
作品を通して立ち上がっていた世界観を
いまの私の感性で受け取り直す記録です。
若い頃
彼の文章に惹かれた感覚を思い返すと、
あれは文学というより、
アイドルを追いかけた感情に
近かった気がしている。
影があって、
弱さを言葉にするのが上手い。
こちらには
「分かっているのは私だけ」という
錯覚が育っていく。
その錯覚ごと、
読者の感情を連れていく。
当時は、それを
文才の力だと思っていた。
いま振り返ると、
スポットライトのアイドルと太宰を
溶け合わせていただけなのかもしれない。
気づけば、
走るのは彼ではなく、
守る女・見守る女ばかりが増えていく——
顔がいい。
雰囲気がある。
言葉が甘い。
弱さを見せるのが上手い。
――若い頃、アイドルなら
センターに立つタイプの男。

だから彼の周囲には、
常に女性がいた。
恋人、妻、読者、理解者。
彼自身が走らなくても、
誰かが感情を走らせてくれる環境が
出来上がってしまっていた。
そして、とにかく死にたがるのに
わりと生き延びる。
そんな太宰が、
2026年に生きていたら・・・
まずSNS。
投稿 深夜3:12
「消えたい」
コメント欄
「太宰くん、大丈夫?無理しないでね🥺」
「ちゃんとご飯食べてる?心配…」
「そのままの太宰くんが好きです♡」
投稿 朝7:45
「昨日はごめんなさい」
コメント欄
「私にはわかるよ」
「昨日の投稿消しちゃったのどうして…」
「返信いらないからね。そばにいるから。」
昼には 長文ポエム投稿
夕方トレンド入り。
コメント欄
「太宰くんの文章に救われてます」
「また戻ってきてくれてありがとう😭」
で、ここに混ざる冷静な男:
「また始まった」
「これでフォロワー増えるの草」
女子がそれに反応:
「そういう言い方やめてください」
「繊細な人の気持ちわからないなら黙って」
炎上系、フォロワーは増える。
でも、文章はうまい
だから一定層はハマる。
『斜陽』では、
絶望し、自殺を考え、
周囲を巻き込む。
しかしなぜか、
毎回 致命傷は避けて生還する。
次に、女に養われすぎ問題。
『斜陽』『ヴィヨンの妻』では、
生活力ゼロ、金銭感覚ゼロ。
でも、女は逃げない。
むしろ尻ぬぐい担当。
しかも本人、
自覚ありでタチが悪い。
#依存型ヒモ文学
分かってくれる役。
支える役。
見捨てない役。
太宰の物語は、
才能と同時に、
その役割分担の上に成立している。
三島由紀夫が
自分自身を放電装置にして
書き、鍛え、演じ、語ったのに対して、
太宰は、
他人を放電装置にしてしまう。
だから彼の文章は、
読む側の体力を奪う。
そして私は、
その世界から降りた。
メロスに期待や役割を強要する前に、
自分の脚で走れ。
と、今は思うのです。
尊敬はする。
功績も否定しない。
でも、同乗はしない。
太宰の生き様への興味からも
彼の作品は、
今も読まれ続けると同時に、
成熟した読者からは
静かに距離を置かれる。
それは拒絶ではなく
成長した側の 自然な判断。
ここまで
色男で奔放な文豪、
太宰治の姿を
かなり辛辣に書いてきた。
昔 アイドルのように仰いでいた太宰を
成長した今 「ダメ男」と呼んでしまう私は
——『人間失格』でしょうか。

