年齢を重ねるほど、
人との記憶は、
形を変えて心に残るようになる。
忘れたわけではないが、
ある日、突然よみがえる人の話・・・
人生を振り返ると、
大きな出来事でも、
派手な関係でもないのに、
なぜか心に残り続ける人がいる。
同い年の浅野さんも、
私にとってそんな存在のひとりだった。
当時、彼は
日本の大手企業で
技術職として働いていた。
多くを語るタイプではなく、
親切で、理性的で、
どこか自分を律して生きている人だった。
何度も食事をご馳走になったけど、
距離はいつも保たれていた。
近づきすぎることも、
踏み込むこともなく、
それでも確かに、
人としての好意と敬意があった。
彼は、私のことを
いつも「女史」や「先生」と呼んでいた。
私が当時、仕事を通じて人と接していた頃、
直接ではないかたちで、
彼と私の生活の線が、
静かにつながっていた時期がある。
私の成績に直結する繋がり方だったが、
それが誰なのか、
特に意識していなかった。
けれどある日、
街でその女性と一緒に歩く男性を見かけた。
その姿を見た瞬間、
ああ、名もなき応援者は浅野さんだ、と確信した。
言葉はなかった。
確認もしなかった。
ただ、
胸の奥で静かに何かが重なった。
後になって、
共通の知人・理香を通じて知ったことがある。
浅野さんは、
お酒を飲むと感情が荒れることがあり、
そのたびに
「ルネに言いつける!」
と叱られると、
不思議とトーンダウンしていたらしい。
それを何度も繰り返していた、と聞いた。
私はその場にいなかったし、
何かをした覚えもない。
ただ、名前が出るだけで
彼が自分を取り戻していた、
という話だった。
私がショップチャンネルの仕事にも少し慣れてきた頃、
その理香を介して、
浅野さんから短い直筆のメッセージを受け取ったことがある。

そこには、
私が元気でいることへの安堵と、
仕事での活躍を静かに讃える言葉が綴られていた。
多くを語らず、
踏み込みすぎることもなく、
それでもきちんと相手を見ている。
あの一枚の紙からは、
浅野さんらしい距離感と、
品性のようなものが感じられた。
過去に本人から、
緑内障を患っていることも聞いていた。
進行性の病を抱えながらも、
彼は弱音を多く語る人ではなかった。
数年前、
浅野さんが亡くなったと聞いた。
一人、部屋で。
詳しい死因はわからないまま。
けど私は、
彼が人生のどこかで、
誰にも迷惑をかけず、
そっと生きていた人だったんだろうと、
なぜか疑わなかった。
人は、
誰かの人生を救わなくてもいい。
支えきれなくてもいい。
ただ、
「この人がいる世界なら、
自分は壊れなくていい」
そう思わせる存在になることがある。
浅野さんにとって、
私がそういう基準点の一つだったなら、
それは誇ることでも、
背負うことでもない。
言葉にできない想いが、
人生の途中に
確かに存在していた。
私はただ、
静かに感謝するだけのことだと思っている。
そして、思い出すたび
心の中で、
そっと手を合わせる。
この文章は、
彼を称えるためでも、
物語にするためでもない。
人生の途中で、
確かにそこにいた人を
記しておきたかった。
ありがとう、浅野さん。
どうか、穏やかでありますように。
真冬だというのに、
その日は春風のような、
やわらかく暖かい風が吹いていて・・・
不意に、浅野さんを思い出した。
太陽のぬくもりに触れた瞬間、
彼の持っていた優しい温度と
重なった気がしたから。
——
正解を降りた女。
美容の先で、美を生き直す人。
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