南部鉄の茶瓶が、
わが家にあります。
新品ではなく、
義母の時間を通ってきたもの。
手に取るたび、
使い込まれた重みと、
静かな艶が伝わってきます。
50代になって、
「新しいもの」より
「譲り受けたもの」に
心が向くようになりました。
それは節約でも、懐古でもなく──
時間を尊重する感覚に近いのかもしれません。
南部鉄の茶瓶でお湯を沸かすと、
音が違います。
急がず、主張せず、
ただ一定のリズムで
静かに沸いていく。
その間、
スマートフォンを見ることもなく、
何かを足すこともなく、
ただ待つ。
この「待つ時間」こそが、
暮らしの余白なのだと思います。
50代の暮らしに必要なのは、
華やかな物や
便利さの更新ではなく、
心が落ち着く“間”。
譲り受けた道具には、
その間が最初から備わっています。
義母が大切に扱い、
手入れをし、
日々を共に過ごしてきた時間。
それを引き継ぐことで、
自分の暮らしにも
自然と品が宿る。
「上質で清貧な暮らし」とは、
我慢することではありません。
余計なものを足さず、
すでにある価値を丁寧に使うこと。
南部鉄の茶瓶は、
そのことを
毎朝、静かに教えてくれます。
お湯を注ぎ、
湯気を眺め、
一杯のお茶を飲む。
それだけで、
一日が整う。
50代からの暮らしは、
足し算ではなく、
引き算の先にある豊かさ。
譲り受けた道具とともに、
これからの時間を
ゆっくり重ねていきたいと思います。

